路地裏のカンオケ

表ブログでは書けないことを綴るだけ

毒親との関係_01

こんにちは、淘汰郎です。

めきめき今年が終わっていくことに焦りを覚えつつ、

今日も断捨離と大掃除に追われている次第であります。

 

せっかく断捨離でバンバンと物を捨てているので、

私とACについても整理しておこうと思う。

アダルト・チルドレン」とは何かを説明するには、

どのようにまとめたら良いかをずっと考えていたのだが、

ふと見たらWikipediaに、詳細な専用項目が作られていた。

私がACだと発覚した当時は何もなかっただけに、

時代は変わるものだと恐ろしくもなる。

 

……冗談はさておき、

淘汰郎という名のトカゲの話をさせていただくに際し、

前提条件として、下記項目をご参考いただきたい。

アダルトチルドレン - Wikipedia

アダルトサヴァイヴァー - Wikipedia

 

母は私の名を呼ばない

私には姉がいる。

怖いもの知らずだが努力家で、なんでも器用にこなす人だ。

些か世間知らずな面はあるが、責任感の強さと大胆さが、それをカバーする。

母にとって、自慢の娘であることは、言うに及ばずだ。

そうした完璧さは幼少期から時間をかけて形成されていったものだろうと思う。

生まれた瞬間から努力家です、なんていう赤ちゃんは聞いたことがないので。

ともかく、両親にとっては初めての我が子であり、父の両親にとっては初孫であった彼女は、

ありていに言って、周囲からの愛情を一身に受けて、すくすく育った。

私と姉は3歳差だ。私が物心ついた頃には、大抵のことは何でもできるすごいお姉ちゃん、

といった存在として、私の先に立つ人でもあった。

当時は分からなかったが、ある程度の年齢になってから気が付いたことを述べよう。

当時から、母は親戚の前で、決して私の名前を呼ばなかった。

冠婚葬祭で遠方の親戚と顔を合わせる機会があると、母は、姉のことは、

「この子が上の子。○○ちゃん」と紹介していたのだが、

私のことは「これが下の子」。以上、終了。

「これ」呼ばわりな上に名前を告げてくれない。必ず、私は自分から名乗っていた。

昔は大して気にもしていなかったのだが、

少しずつ私が色々なことが分かるようになってくると、この差に疑問を生じるようになる。

しかし、私がその異常さに気付いた頃には、既に私は親戚にしっかり名を覚えてもらっていたし、

何より、そういったことに言及するだけの気力が、私には残されていなかった。

 

言葉の暴力、体の暴力

幼い頃からずっと「クズ」「できそこない」「失敗作」「産まなければ良かった」

「お前のような存在が世界で一番嫌い」と言われ続けてきた私だが、

子どもの頃というのは家庭こそ自分の世界の全てなので、

それが当たり前のことなのだと思っていた。

幼稚園の頃から、鼻血が出るまで殴られることも多々あったし、

テーブルマナーが悪い時や、叱られる時には必ずビンタされていたのも覚えている。

それでさえも、私にとっては当たり前のことだった。

もしかして、これはおかしなことでは?と思い始めたのは、中学の頃だった。

当時、私はひどいイジメを受けていて、ケガをさせられたこともあった。

そのつらさを母に訴え、学校に行きたくないと申し出たこともあったのだ。

しかし、母はそんな私の首を絞めたり、殴ったり、怒鳴ったりして部屋から引きずり出した。

極め付けは、担任が私を見捨てた理由だった。

母は私の訴えを覆すべく、学校に電話を入れて、担任に、

「あの子が先生に、いじめられていると訴えてくるかもしれない。

しかし、あの子の言っていることは全て嘘なので、無視してください」

と告げたのだそうだ。

本人と担任の双方から話に聞いたので、間違いないだろう。

周囲の大人を決して頼ってはいけないと思い知らされた、この一連の出来事で、

私はさすがに、母は何かを間違えているのではないか、と感じるようになった。

 

「それは虐待ですよ」

義務教育万歳!状態で中学を卒業後、

ろくすっぽ勉強もせずに高校に入学したものの、

周囲と溶け込むことを完全に拒絶した私は、

表面上はクラスメートとも当たり障りなく付き合いつつ、

クラス行事の全ては徹底的に全力スルーを重ねた。

そんな私を見かねてか、或いは中学から何か聞いていたのか、

ある日、担任が「お前の中学の頃の話を聞かせてくれ」と言ってきた。

当時の私は、担任が私の敵なのか味方なのかを見極めるためだけに、

詳細をかいつまんで打ち明けた。

担任は私に「俺にどうしてほしい?」と尋ねた。

「何もしないでください」と私。

「なんでだ。せめて、お母さんには全部話せよ」

「話しましたよ。そしたら担任には裏切られて、母には首を絞められましたけどねw」

「えっ!?」

本気で驚いた先生は、その後、じっくりと真剣に私の話を聞いてくれて、

紆余曲折を経て、スクールカウンセリングを受けることになった。

そして、そのカウンセリングで母との関係を全て話すと、

カウンセラーは「あなたがお母さんにされてきたことは、虐待ですよ」と告げた。

私の中で、疑惑が確信に変わってしまった瞬間だった。