路地裏のカンオケ

表ブログでは書けないことを綴るだけ

LIMIT 30

こんにちは。淘汰郎です。

話が飛んでしまいそうなので、

そもそもここにアカウントを作った理由について、

先に述べておくとしよう。

 

 

人間の価値は30歳までに決まるらしい

私の名を決して呼ばない我が毒母に曰く、

「人間の価値は30歳までに決まる」そうだ。

そして当方、現在26歳である。

なりたてホヤホヤ。

しかも無職。正確には就活中。

本音を言えば「働きたくないでござる」。

 

そんな私は子どものから毒母に、

「あんたは生きてる価値がない」

「あんたは失敗作」

「お前のような子を持って、世界で一番恥ずかしい」と、

さんざん言われてきた。

こんなドラマティックな台詞を、

朝の挨拶さながらにすらすらと口にできる我が毒母の語彙力、恐るべし。

 

インプリンティングとは異なるだろうが、

こんなことを言われ続けてきたのだから、

なるほど、私には本当に価値がないらしい、と認めてしまうくらいには、

がっつり教育されている、と言っていい。

 

25歳9ヵ月……人生二度目の無職2ヵ月目のある日、

ふと、私は思った。

「25歳9ヵ月まで生きて、まだ私の人生には価値がないようだ」

「残り5年(ざっくり)で、価値は見つけられるのか?」

そんなわけねーじゃん!というのが結論だった。

25年9ヵ月も生きて、己が人生に価値を見出すことがなかったのだ、

30歳まで残り5年(厳密には4年3ヵ月)しかないというのに、

これまでの人生の1/5の年月を生きたところで、

今さら、価値など見つかる筈がないではないか、と。

 

リミットは30歳

そんなわけで、当方が至った結論は、実に単純明快だ。

「30歳までに価値を見つけられなかったら、しのう」である。

そして勿論、律儀に30歳の誕生日を迎えるつもりはない。

これまで25年も費やしたのに価値が見つかっていないのだから、

律儀に30年目を迎えるのは、単なる空費に過ぎん、と。

したがって、私は己の人生の残りを、

記念すべき(?)26歳の誕生日を迎えたその日に、

「あと3年6ヵ月」と定めた。

つまり、29歳6ヵ月でしんでおこう、ということだ。

そのための準備として、

そして、それまでの間に感じていたことを、

そっとどこかに記しておこうと思い立ち、

この度、ここにアカウントを取得したのである。

 

届かない声を届かせようとしている

 家でも職場でも学校でも、

私の意見というものは、悉くスルーされてきた。

私の声は、この世界に必要とされていないらしい。

それを骨身に沁みて理解してきたくせに、

未だにこんなところで垂れ流しているというのだから、

我ながら愚かで情けないことだ。

3年6か月後、決行に際しては、ブログは削除していく。

後味が悪いのでは、世間に申し訳ない。