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路地裏のカンオケ

表ブログでは書けないことを綴るだけ

リンク先が正しいと嬉しくなる

さて、一通りの動作確認は終えたので、本題に入ろう。

え?デザイン?

そのうち、なんとかしよう。気が向いたら。

 

当方、淘汰郎のプロフィールを編集してみた。

その中で「AC」というワードを入れてみたのだが、

リンク先が某広告公共機構だったらどうしようかと、

ドキドキしながらクリックしてみた。

うむ。問題ない。ありがたいことである。

 

現状、「アダルト・チルドレン」というものへの、

世間の理解が浅いことは残念だと言わざるをえない。

当方も両親には自分がACだと打ち明けていない。

毒親相手に打ち明けたところで解決策が見出されないのは分かり切ったことであり、

何しろ毒母は偏見に満ち溢れた、なかなか手に負えない人物なので。

 

当方のようなACにとってみれば、

一般社会に馴染むというのは、相当な労力を要する。

どうやら一見は真面目に物事に取り組む人間に見えてしまうようで、

どこに行っても「淘汰郎さんは真面目」という評価を受けてしまいがちだ。

とんでもない。私が真面目だとしたら、全人類が真面目になってしまう。

真面目なように見せる方法を心得ており、そう振る舞っているに過ぎないのが、

淘汰郎という人間であるわけだが、それを説明するのは骨が折れるし、

当方は他人からの理解というものを諦めた身であるので、

説明したことはない。

尤も、「他人からの理解」を諦めたのは、実は今年の10月の出来事なのだが(笑)

 

ともかくも、私は他者からの理解を放棄した身で、

その代わりと言っては何だが、周囲を理解することも辞退させていただいた。

「一般には」「常識的に考えて」「普通は」という接頭語(と、あえて呼ぼう)から始まる、

心身共に健康なお方からの超上から目線なお説教は聞き飽きたからだ。

……うん、理屈っぽい言い回しを試みてみたが、

要するに、「めんどくせ!」ということである。

それら一般常識に照らし合わせて、何も齟齬が生じないのであれば、

そもそも私は生きにくさなど感じてはいないわけであり、

即ち、私はACでもADHDでもないのだ。

 

一般常識からかけ離れた世界観で生きることを余儀なくされ、

それを植えつけられているからこそ、

私はACと呼ばれる立場に甘んじてしまっているのである。

ああ、本当に面倒くさい。

 

ん?

何が書きたいのか、よく分からなくなってきた。

話が散在しそうなので、ここで一旦区切ろう。

チョコうめぇ。